皆様、おはようございます。今日はロニの随想ですね・・・南の小さな島、人口は100人以下。この島にはなんでも売っているよろず屋が一軒だけある。
この島の人たちは、この店で食料品を買う時、製造年月日の古いものから買ってゆくそうです。みんな家族同然だから、自分から進んで古いものを買ってゆく。何年か前のTV番組でロニが見た光景です。日本の家庭でも、冷蔵庫のなかの牛乳に製造年月日の新しいものと古いものがあったら、おとうさんは古いものから飲むでしょう。家族だから、自分さえよければいい、という気持ちにには、なりませんね。実は、これは「神の道=日本精神」が良く表れているわかりやすい例だと思います。一方スーパーでは、おばさん達が、製造年月日の新しい牛乳を奥から引っ張り出してかごに入れている。自分さえ良ければいい、という考えをもっているからです。つまり「神の道=日本精神」とは反対のことをしているのです。これは、我良し、といって「日本神道」がもっとも嫌うことなのです。平凡な日々の生活を送っている平凡な私達にとっては、日常の生活のなかで、「日本精神」をどうやって実行するかが課題なのですね。威勢の良い天下国家を論ずるのも良いですが、我々にとっては、日々の生活の中の「日本精神の実践」が大切です。
さて、ロニはといえば、スーパーでは新しいものと古いものが同列に並んでいるときには、つい新しいものを買ってしまう未熟者です。ただ、実行しようと努力はしています。
★中国の古典では、「修身斉家治国平天下」といって、自分を修める(つまりは自己完成)が、まず、最初に必要だと説かれています。日本の戦前の教育の根本目的は、「修身斉家治国平天下」でありました。戦後、この教育方針は、頭から否定されたのです。そして、戦後教育は、方向を見失い、彷徨う事になる。 戦前は、道徳とは言わなかった。修身といった。
★敗戦後、修身は、抹殺された。戦後、修身を道徳に置き換え、道徳を否定した。そして、反道徳主義を鼓舞し。公序良俗、道徳に反する者を称揚したのである。道徳と修身は違う。
道徳は、決め事である。べき論である。それに対し、修身と言う事は、身を修める事、姿勢である。修身というのが、自己に対する規律ならば、道徳は、外的規範である。つまり、外から、押し付けられるもの、強要される決め事、強制される決め事であるのに対し、修身は、自己の内部に根ざす規律である。道徳は、所与の決め事、予め決められている規範、つまり、自分が関われない規範であるのに対し、修身というのは、あくまでも、自分が自分に対する決め事に対する規律である。だから、根本は、自己である。
身を修めるというのは、個の確立である。故に、個人主義国であるアメリカは、修身を否定するわけにはいかない。故に、一旦、修身という言葉を道徳に置き換え、その上で、道徳を否定したのである。その意味するところは何か。考えれば解る。
民主主義教育に必要なのは、道徳ではなく、修身である。
斉家とは、家を整えると言う事もあるが、新たな家を興し、その家を整えるという意味もある。家族というのは、血族という意味もあるが、共同体という意味もある。自分が帰属する運命共同体を指す。一家を興すというのは、一般的に言えば、男と女が結婚して、新たな家を造る事ともとれる。この場合、男と女は、当たり前に、血のつながりはない。義兄弟と言う言葉が示すように、血による兄弟よりも、義による兄弟の契りの方が、強いのである。その意味では、一家を旗揚げするとは、血の繋がりだけを意味するのではなく、同じ志の者が、一所に集い、一つの目的に向かって結集した共同体を家と言ってもいいのである。ならば、企業は、家の一種である。そこに家族主義の根がある。家を通じて、自分の理想や思想を実現する。それが斉家である。日本には、家族や地域社会を一つの家族と見る思想がある。それが家族主義である。家族主義は、家長制度とは違う。会社や地域社会を一つの家族と見なし、相互扶助、互助の精神で助け合っていくことである。これは、農耕民族である日本人の生活様式から生まれたものである。それに対し、戦後は、家族の否定、家族制度の否定が根本にある。核家族は、現れである。それが、やがて家族主義の否定につながる。かつて、会社は家族であった。喜びも悲しみも共に分かち合った。そして、家が整った時、家を通じて国家に働きかけ、社会に貢献するのである。一人では何もできないと言う発想は、バックボーンとしての家を意識した言葉である。治国という言葉、修身斉家に基づく。愛国心というのは、この前段の修身斉家を踏まえないと正しく理解することはできない。修身から発する愛国心は、絶対的服従を意味するのではない。もう目的に国家に従うことを意味するのではない事は、根本に修身があることで解る。根本は、修身なのである。故に、国が間違った方向に進もうとした時、身を挺して諫めるのも、愛国心なのである。そして、平天下がその上に来る以上、根本的には、世の中から争いをなくすことが、治国なのである。その為の、国家に対する思いが愛国心なのである。愛国心なき変革は、ただの破壊活動に過ぎない。それは、エゴである。修身の対極にある思想である。先ず、自らの身を修め、律し。その上で、新たなり共同体を興し。その共同体を通じて国家を建設し、そして、世界平和に貢献する。これが、修身斉家治国平天下の意味です。つまり、民主主義の基本理念に合致しているのである。ただ、戦前は、体制が、全体主義的なものであったから、全体主義的に利用されただけなのである。その為に、修身斉家治国平天下の理想は、歪められ、歪められたまま、否定されたのである。しかし、新たなる国家、特に、民主主義国を再建するためには、この修身斉家治国平天下は、最もふさわしい理念である。
ちなみに、戦前の海軍兵学校の五省をのせておきますね。これが、日本人の修身の精神であります。
一,至誠(しせい)に悖(もと)るなかりしか。(誠に反する点はなかったか)
一,言行に恥ずるなかりしか。(言行不一致な点はなかったか)
一,気力に欠(かく)るなかりしか。(気力は、漲っていたか)
一,努力に憾(うら)みなかりしか。(精一杯の努力をしたか)
一、不精に亘(わた)るなかりしか。(最後まで、やり抜いたか)
又最後になりますが、イザナギ様から夢で下記を拝聴しました。
イザナギ「ロニよ!毎日発信ご苦労である。しかし、この星に地上天国を築く為には、まず、ロニ自身が自分を修めることが大切であるから実践するように、それは、ロニ自身がまず家庭なり職場で神の道=日本精神を実践することじゃ、其の後、その余力を持って世の人々を救うようにすることじゃ。このことを、他のわしの愛弟子「フェニクス天使」たちに「黄金のペン」で伝えるがよい!
ロニ:「ははー御意にございまする」
★今日のお歌はこれです!
http://www.youtube.com/watch?v=Ppoqn28jqc8
愛を込めて:ロニ